2026年8月14日(金)
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なぜイラン人は日本に親日的なのか? 石油がつないだ40年の友好関係

イランと聞くと、多くの日本人は「中東の危険な国」という印象を持つかもしれない。核開発問題。経済制裁。ホルムズ海峡問題。日本のニュースで報じられるイランは、どちらかと言えばネガティブな話題が多い。

しかし実際には、イラン国内には日本に対して比較的好意的な感情を持つ人が少なくないと言われている。なぜ日本とイランは、遠く離れた国でありながら友好的な関係を築いてきたのだろうか。その理由をたどると、40年以上前の戦争へと行き着く。

日本にとってイランは生命線だった

現在の日本は原油調達先を分散しているが、かつてはそうではなかった。高度経済成長期の日本にとって、中東の石油は文字通り生命線だったのである。その中でもイランは重要な供給国だった。

工場を動かすのも。車を走らせるのも。発電所を稼働させるのも。すべて石油が必要だった。日本にとってイランは「遠い国」ではなく、「経済を支える重要なパートナー」だったのである。

イラン・イラク戦争とタンカー戦争

1980年、イラン・イラク戦争が勃発する。戦争は8年間続き、中東全域を巻き込む大規模な紛争へと発展した。そして1984年頃から始まったのが「タンカー戦争」である。

両国は互いの石油輸送を妨害し始めた。タンカーは攻撃対象となり、ペルシャ湾は世界有数の危険海域へと変貌した。世界中の企業が中東との取引を縮小し始める。船を出せば沈められるかもしれない。当然の判断だった。

それでも日本は石油を運んだ

しかし日本は完全には撤退しなかった。石油を止めることは、日本経済そのものを止めることを意味していたからである。商社や海運会社は危険を承知で中東との取引を継続した。

その象徴として語られるのが、三井商船や三菱商事など日本企業が関わったタンカー輸送である。命の危険がある海域で石油を運び続けたことは、イラン側にも強い印象を残したと言われている。

戦争中、多くの国が距離を置く中で、日本は最後まで取引相手であり続けた。この経験が後の日イラン関係に影響を与えたと考える人も少なくない。

「ジャパンプレミア」という不思議な関係

1990年代以降、日本とイランの関係を語る上で欠かせない言葉がある。それが「ジャパンプレミア」だ。日本企業はイラン産原油を購入する際、他国より高い価格を支払っていたと言われている。

もちろん理由については諸説ある。安定供給を優先した結果だという見方もある。品質や契約条件の違いだという説明もある。一方で、

「国際制裁下にあるイランを、日本が経済的に支えていたのではないか」

という見方も存在する。これは非常にデリケートな話であり、公式に認められたものではない。

しかし結果として、日本は長年にわたりイランにとって重要な顧客であり続けた。イランから見れば、「最後まで石油を買ってくれた国」だったのである。

日本人を救ったのはトルコだった

1985年。イラクはテヘランへの空爆を予告した。各国は自国民救出のため航空機を派遣する。しかし当時の日本には、自衛隊による海外邦人輸送の法整備がなかった。結果として、日本人だけが取り残される危険な状況となった。

その時、救援の手を差し伸べたのがトルコだった。トルコ航空は日本人を優先的に搭乗させ、テヘランから脱出させたのである。この話は日本でも有名だ。

ただし、その背景にはイラン政府や現地関係者の協力も存在した。戦争の最中であっても、日本人を送り出すための協力が行われていたのである。

なぜイラン人は日本に親日的なのか

イラン人が日本を好意的に見る理由は一つではない。日本が植民地支配を行わなかったこと。文化的な親近感。経済協力。そして何より石油を通じて築かれた長年の信頼関係である。

その象徴として語られるのが、1953年の「日章丸事件」だ。

当時、イランは石油国有化を進めていたが、これに反発したイギリスは事実上の海上封鎖を行っていた。イラン産原油を買う国は少なく、多くの企業が手を引いていた。

その中で動いたのが出光興産だった。

出光のタンカー「日章丸二世」は、イギリスの圧力が続く中でイランのアバダン港へ向かい、原油を積んで日本へ戻った。世界が距離を置く中で、日本企業が石油を買いに来たのである。

この出来事はイラン側にも強い印象を残したと言われる。アバダン港では歓迎を受けたとも伝えられている。また一説には、この取引で石油代金の一部が免除されたとも語られている。

その後も日本はイランとの関係を維持し続けた。戦争中も取引を続けた。制裁下でも完全には関係を断たなかった。その積み重ねが現在の日イラン関係を形作っている。

イスラム教の教えでは、裏切りは大きな罪とされる。その点で日本は、少なくともイランから見れば「最後まで付き合い続けた国」の一つだった。

一方で韓国は、制裁に伴う原油代金の未払いや韓国国内のイラン資金凍結問題を抱え、イラン側の大きな不満を招いた。今回のホルムズ海峡問題でも、そういった過去の行いの違いによってイランの対応は大きく分かれたことを指摘する声があったことは、ここに書き記しておく。

もちろん国際政治は単純ではない。しかし少なくとも、イランから見た日本は欧米諸国とも、韓国とも少し違う存在なのだろう。

📝 編集長メモ

40年前の判断は、目先の安全よりも「長期的な信頼」を取った結果だった。当時の商社や海運会社の経営者たちは、リスクを取ることで後の関係資産を築いたのだと思う。今の日本外交にも、同じ胆力が求められているのではないか。その点で言えば、最後までアメリカとイラクの戦争への関与を拒否した日本政府の判断は正しいと言えるだろう。

💰 編集長の儲け話

ホルムズ海峡が閉鎖に近づくと原油価格は上がる。逆に停戦が近くなると下がる。この乱高下を利用して儲けることこそ、投資家としての本分だろう。地政学リスクは恐怖の材料であると同時に、値動きの材料でもある。情勢報道に振られて右往左往するのではなく、構造を理解した上で原油先物やエネルギー関連株の値動きを冷静に追う。それができる人だけが、この手の地政学イベントで利益を取れるのだと思う。

※本コーナーは編集長個人の見解です。投資等の最終判断はご自身の責任でお願いいたします。

桜坂武志

桜坂武志

もこもコラム 編集長

💰 編集長の儲け話 特集

投資・NISA・高配当株・暗号資産・ギャンブル・副業・AI活用・資産形成など、お金に関する記事をまとめています。

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