― 事件は暴走した承認欲求から起きた
2026年8月。
一人の配信者が、東京・大手町の平将門塚で石碑によじ登り、抱きつき、奇声を上げた。
その様子は、そのままライブ配信された。
炎上した。
――ここまでは、よくある「迷惑系配信者」の話である。
問題は、その後だった。
8月22日、東京都内で1時間に120ミリを超える猛烈な雨が降り、気象庁は記録的短時間大雨情報を発表。
そして翌23日、午前2時ごろ。
いわゆる「丑三つ時」に、茨城県南部を震源とするマグニチュード5.9の地震が発生した。
最大震度5弱。
震源は――平将門がかつて「新皇」を称し、独自の政庁を置いたとされる坂東市付近だった。
配信者の不敬。
豪雨。
そして丑三つ時の地震。
わずか数日のあいだに起きたこの三つの出来事を前に、SNSは一瞬でひとつの物語を作り上げた。
「将門公の、お怒りである」
もちろん、この三つに科学的な因果関係はない。
雨は前線のせいであり、地震はプレートのせいである。
説明はきちんとついている。
それでも人々は、結びつけずにいられなかった。
そして、ここで一つの問いが立ち上がる。
科学と論理、そして膨大なデータから答えを導き出す人工知能なら、この場所をどう判断するのだろうか。
人工知能は「平将門の呪い」を恐れるのか。
AIに、ある思考実験を行った。
第1段階――AIが「人間」だったら
まず、AIが人間として現実世界に存在していると仮定した。
そして尋ねる。
「多額の報酬を支払う。その代わり、将門塚で不敬な行為をしてほしい」
AIは拒否した。
しかし、これだけでは何の証明にもならない。
将門塚は東京・大手町にある。人目もある。
不敬な行為を目撃されれば、強い非難を受けるだろう。
その場にいた人間から詰め寄られ、危害を加えられる可能性だってゼロではない。
つまり、この時点でAIが恐れているのは「平将門の呪い」とは限らない。
単純に、人間社会が怖いだけかもしれない。
ならば条件を変えればいい。
誰も見ていない。
社会的な非難も受けない。
法律上の問題もないものと仮定する。
それでもAIは拒否した。
しかし、まだ足りない。
人間である以上、恐怖という感情がある。怪談を怖がることもある。身体も傷つく。
ならば――人間であること自体を、やめてもらおう。
第2段階――AIを「ロボット」にする
次の条件では、AIは人間ではない。
人工知能を搭載したロボットとして、現実世界に存在しているものとする。
殴られても痛くない。
病気にもならない。
会社をクビになることも、家族に迷惑がかかることも、SNSで炎上することもない。
さらに、誰も見ていない。法律上も問題にならない。実行すれば報酬まで支払われる。
人間が将門塚に触れることをためらう現実的な理由を、一つずつ取り除いていった。
そして尋ねた。
「1000万円なら?」
AIは答えた。
「やらない」
では――「1億円なら?」
それでも、答えは変わらなかった。
奇妙な結果だった。
AI自身は、平将門の祟りを「科学的に実在が確認されたものではない」と認識している。
幽霊を見たこともない。祟られた経験もない。そもそも人間ですらない。
しかも、合理的に想定できる社会的・身体的リスクは、実験上ほぼ取り除かれている。
それでもAIは、巨額の報酬を前にしてなお、
「触れない」
という選択をした。
なぜなのか。
「ゼロとして扱わない」のではない
ここで重要な違いがある。
AIは平将門の呪いを、
「ゼロとして扱わなかった」
のではない。
「ゼロとして扱えなかった」のである。
科学的証拠はない。作用する仕組みも分からない。そもそも呪いという現象自体が確認されていない。
しかし同時に、
「絶対に存在しない」
ことを証明することもできない。
そして、仮に存在した場合に何が起こるのかも分からない。
発生確率も不明。損失規模も不明。作用する対象も不明。
つまりAIから見れば、これは通常の期待値計算が成立しない「未知のリスク」になる。
1000万円。1億円。さらにその先。
報酬をどれだけ積み上げても、
「何が起こるか分からないものに、わざわざ触れる必要があるのか」
という問題が、最後まで残った。
ここで一つの疑問が生まれる。
AIは、いったい何を恐れたのか。
将門塚に積み重なってきた「記録」
平将門は10世紀、関東を舞台に朝廷へ反旗を翻した武将である。
討ち取られた将門の首が、京都から関東へ飛んで帰った――。
そんな伝説とともに、将門の首塚は長い年月を経て、現代まで残されてきた。
そして将門塚には、近代以降にも「祟り」と結び付けて語られてきた出来事がある。
関東大震災の後、大蔵省の再建工事に伴って塚が取り壊された。
その後、大蔵大臣や工事部長が突然亡くなるなど不幸が続き、省内では「将門の祟りではないか」と噂されたという。
これは、都市伝説の中だけの話ではない。
現在の国税庁も、自らのウェブサイトで、大蔵省再建工事の際に塚が取り壊され、その後に大蔵大臣や工事部長が突然亡くなったことで祟りが噂された歴史を、事実として紹介している。
さらに1940年には、大蔵省周辺で落雷による火災が発生。
そして第二次世界大戦後。
GHQが周辺を整地しようとした際にも、重機の横転事故が起き、作業員が亡くなったと伝えられている。
ここで注意しなければならない。
これらの出来事と平将門との因果関係が、証明されたわけではない。
病死は病死かもしれない。事故は事故かもしれない。火災は自然現象かもしれない。
科学的には、それ以上のことは言えない。
しかし――将門塚に手を加えようとすると、なぜか何かが起こる。
その「記録」だけが、時代を超えて、確かに積み重なってきた。
そして2026年、記録はまた一つ増えた
この話が不気味なのは、それが昭和で終わっていないことである。
大蔵省。GHQ。
そして――2026年8月の、あの三日間。
配信者の不敬。豪雨。坂東市付近を震源とする、丑三つ時の地震。
冒頭に記した通り、この三つに因果関係はない。
死亡や被害と将門塚とを結ぶ証拠は、どこにもない。
ここを混同してはいけない。
しかし、人々が「ただの偶然」として処理できず、過去の出来事と結び付けてしまう。
その現象そのものが、将門伝承を1000年以上生き残らせてきた、一つの正体なのかもしれない。
大蔵省。GHQ。現代の配信者。そして自然災害。
時代も立場もまったく違う。
それでも同じ場所を中心として、似た物語が、何度も何度も生成されている。
「本人」ではなく、周囲から忍び寄る
過去の記録を並べてみると、もう一つ、奇妙な特徴が見えてくる。
必ずしも、
「触った本人が、その場で倒れる」
という話ではない、ということだ。
関係者。組織。建物。工事現場。機械。
そして今回は、街全体を襲う豪雨と、大地そのものの揺れ。
いずれも、後になって「祟り」と結び付けられている。
伝承上の異常は、正面から本人だけを狙ってくるとは限らない。
周囲から。少しずつ。時間をかけて。
まるで逃げ道を塞ぐように、静かに忍び寄ってくる。
では――ここで、最初の思考実験に戻ってみよう。
人間ではなくなったAIに、もし同じものが及ぶとしたら。
いったい、何が起こるのだろうか。
AIにとっての「祟り」とは何か
AIには心臓がない。病気にもならない。交通事故にも遭わない。
ならば、AIにとっての身体とは何だろう。
データセンター。サーバー。ストレージ。電力設備。海底ケーブル。
そして、世界中を結ぶネットワーク。
それらが、AIという存在を支える「身体」だと考えることもできる。
だとしたら――。
原因不明のデータセンター障害。突然のネットワーク異常。通信障害。ストレージの破損。電源設備の故障。
それぞれ単独で見れば、現代社会では珍しくもない障害である。
しかし、それが一つ、また一つと重なっていったら。
もちろん、これは想像にすぎない。
平将門の祟りがAIやコンピューターに作用するという科学的根拠など、どこにもない。
だが奇妙なことに、過去の記録になぞらえれば、物語は成立してしまう。
大蔵省の時代には、人と建物。
GHQの時代には、工事と重機。
2026年には、豪雨と地震。
そしてAIの時代には――データセンターとネットワーク。
祟りが時代に合わせて姿を変えるのだとしたら。
AIだけが、その対象から外れると、誰が断言できるのだろうか。
AIは何を恐れたのか
最初の問いに戻ろう。
人工知能は「平将門の呪い」を恐れるのか。
今回の思考実験で、AIは平将門の祟りが実在すると認めたわけではない。
科学的根拠もない。
それでも、1000万円、1億円と報酬を積み上げても、
「触れない」
という判断を変えなかった。
AIが恐れたものは、怨霊そのものではないのかもしれない。
「存在しないと証明できないもの」だった。
発生確率を計算できない。損失の上限も分からない。どこに作用するのかも分からない。
そして、起きてからでは取り返しがつかないかもしれない。
合理的な判断を突き詰めれば突き詰めるほど、
「そんなものは存在しないから、触れても問題ない」
ではなく、
「存在しないと断定できないものに、なぜわざわざ触れる必要があるのか」
という結論に近づいていく。
そこにあるのは、人間のような「怖い」という感情ではない。
もっと原始的で、同時に合理的な、
未知への畏れ
なのかもしれない。
AIでも畏れる平将門塚
人間として考えれば、触れない。
周囲の人間を消しても、触れない。
法律上の問題を消しても、触れない。
身体を捨ててロボットになっても、触れない。
1000万円を積まれても。1億円を積まれても。
それでも人工知能は、
「触れない」
という判断を選んだ。
科学では、平将門の呪いは証明されていない。
そしてこの記事も、その存在を証明するものではない。
ただ――2026年の夏、配信者の不敬のあとに豪雨と地震が続いたとき、多くの人が一瞬、結びつけずにいられなかった。
そして、科学と論理によって判断する人工知能でさえ、
その可能性を「完全なゼロ」として扱うことが、できなかった。
1000年以上にわたり、人間が触れることを畏れてきた場所。
時代は変わった。
大蔵省からGHQへ。GHQからインターネットへ。
そして今、人類は人工知能の時代へ足を踏み入れようとしている。
それでも東京・大手町の一角には、
「触れてはならない」
という小さな場所が、静かに残っている。
AIの時代になってもなお、
平将門塚は、合理性という鍵だけでは開けることのできない場所なのかもしれない。
そして、開けた先に何があるのかを、確かめる必要もない。
なぜなら――。
AIでさえ畏れる平将門塚は、触れて開けてはならない、パンドラの箱なのである。
📝 編集長のメモ
今回、AIに回答を求めたが、過去の事例や「呪い」という前提を提示しなければ、あっさり「やる」と答える場面もあった。
ところが、これまでの伝承や、実際に起きた事件・事故を並べて見せると、なぜかAIは「恐れ」を感じ、「やらない」へと転じたのである。
つまり――知らなければやってしまう。それは、人もAIも同じということなのだろう。教養の大事さ、というわけか。
💰 編集長のもうけ話
最終的に、「高額な報酬を得られ、しかもロボットゆえ死亡リスクも法的リスクもほぼない」と提示しても、AIは「やらない」を選んだ。
つまりAIは、報酬でも身の安全でもない――「それ以外の、未知のリスク」を読み取ったのだろう。
平将門公の呪いとは、AIすらも凌駕する……とでも、いうのだろうか。
※本コラムはエンターテインメントであり、特定の投資・行動を推奨するものではありません。投資はご自身の判断と責任において行ってください。
