若者のすべて / フジファブリックという曲をご存じですか?
ヨルシカのsuisさんがこの曲をカバーした際、「感動のあまり最後まで歌えなかった」というエピソードを耳にしたことがあります。本人から直接聞いたわけではなく、とある動画の紹介で語られていた話なので、真偽はわかりませんが…。
実はこれが、この曲に出会うきっかけとなったんです。
suis from ヨルシカ 「若者のすべて」 Music Video
まずはヨルシカのカバーを聴き、その後、フジファブリック本人によるオリジナルを聴いてみました。そして、歌詞をじっくり見てみることに。
正直なところ、「うーん、なんとなくしかわからん!」というのが最初の感想でした。そこで、歌詞の解説をしているサイトを探してみたんです。
歌詞を解読して見えてきたこと
そこで知ったのが、この曲の作詞・作曲を手がけた志村正彦さんが、2009年のクリスマスイブに29歳という若さで亡くなったという事実。そして、「若者のすべて」が彼が27歳のときに発表した楽曲であるということ。
それを知って初めて、歌詞に込められた「思い出の儚さ」「将来への漠然とした不安と期待」「色あせる過去への寂しさ」といった感情が、少しずつ見えてきた気がしました。
さらに、音楽的な観点では、「夏の終わりの雰囲気を描いたミディアムチューン」「時を刻むように進むビート」といったサウンドが、「過ぎ去る時間」を象徴している、という解説もありました。
なるほど、と思いましたね。
アートの楽しみ方に対する考え方
ここでふと、「歌詞の意味や音楽の音の意味を調べることに意味はあるのか?」という疑問が浮かびました。
一般的には、絵画や歌詞を含むアート作品は、受け手側が自由に想像して楽しむものだと言われます。いちいち説明を求めず、「察しろ」と。また、自分で考えることが大事だとも。
その意見には一理ありますし、それで楽しむ人がいるのも理解しています。でも、僕はちょっと違うんです。
正確に言えば、「僕には合わない考え方」なんですね。
すべてを知ったうえで想像したい
なぜなら、僕は「すべてを知ったうえで想像したい」からです。
もちろん、何も知らずに想像することも楽しいし、間違っていてもいいという考えもわかります。ただ、僕は、作品に込められた正確な情報や思いをまず知ったうえで、その隙間にあるものを想像したいんです。
「作者はこれを伝えたかったんじゃないか?」と考えるよりも、
「作者がこれを伝えたかった理由はなんだろう?」
「その時代背景や環境を考えながら深掘りしてみたい」
例えば、家族構成や時代背景、経済状況など、その人の置かれた状況を知ったうえで、「きっとこうだったんじゃないか」とある程度仮説を立てながら楽しみたい。
それが僕なりのアートの楽しみ方なんです。
だからこそ、「意味を調べるなんて邪道だ」と否定せず、ぜひ自分なりの楽しみ方で作品を味わってほしいなと思います。
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