こんにちは管理人もこです。
賛否両論を巻き起こしている酒鬼薔薇聖斗(少年A)の手記
絶歌を読んで、そして手記の批判に触れてもこは思うんです。
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【絶歌の批判についてウオッチン】
買わない、もしくは売らないと決める
それは個人の自由です。
でも、読みもしないで批判を展開する論調は如何なものかと思います。
昔ちょっとヤンちゃだった料理長が作ったご飯を
『アイツは悪いヤツだからアイツの飯は食わない!』
と言っているのと同じで、本当はスペシャル美味しいかもしれないのに
『絶対不味い!絶対に腹を壊す!!世の中の害だ!!!』
と喚き散らしているのと何ら変わりはありません。
それだと「罪」の「償い」っていったいどこまでなんなのだろうか…
という哲学的な話になってくるので、今日は敢えてこの辺にしておきます。
さて、その絶歌、各業界からも批判はされていますが、
その注目度から売れ行きは好調で2000万の印税が入るんだとか。
ちなみに絶歌の感想は前回Blogにまとめましたので、そちらを参照。
・絶歌出版の本当の狙いは?酒鬼薔薇聖斗の手記で得た印税の使い道
【犯罪者が罪をお金に変えていいのか】
だいたい犯罪者が自分の犯した罪を商売道具にしていいのかよ!
という感情が生まれるのは必然ですが少なくとも我が国、日本では法律的な縛りはありません。
これがアメリカだった場合は、「サムの息子法」というちょっと変わった名前の法律によって
犯罪者が自分の犯した罪を題材とした商品で稼いだ場合、被害者救済にあてなくてはいけないと決められています。
【サムの息子法】
この名称は犯人が脅迫文で「サムの息子である」と名乗ったところが発端となっています。
そのとある事件をアメリカの映画製作会社が映画化して莫大な収益を加害者と共に得たということが法律制定の要因です。
アメリカの経済規模は日本の何倍もありますので、犯罪をハリウッド映画化したり書籍化すると、
アメリカの人口で3億人、英語圏では8億人という壮大な市場規模に投入されることになります。
そこから、ウン十億、時にはウン百億という売り上げが発生します。
今回の絶歌の印税2000万円が、何かの手数料程度にしか思えないくらい稼げてしまいます。
それだけの大金が動くならばと、小さな映画制作会社や貧乏な映画監督が犯罪者に群がってきます。
その動きに市民が遂にNO!を突き付けたのです。
政治家に働きかけ、市民団体、一般市民が立ち上がった結果、
犯罪者が自分の犯した罪で稼ぐ事を禁じる「サムの息子法」という法律が出来ました。
【表現の自由は守られる?】
そこで問題となるのが、「サムの息子法」という法律の正当性です。
アメリカの憲法でも表現の自由は認められていますので、いくら元犯罪者と言えども
書籍や映画で表現することを国や政治家が抑える事は出来ません。
サムの息子法は言論弾圧に抵触する法律として、専門家や法律家から批判や注文が相次ぎます。
その流れを組んで法律の運用法として
「本や映画を作ってはいけない」
ではなく
「得た利益は被害者の救済にあてなくてはいけない」
「被害者の救済に最大限努力をすべし」
といった見解に緩やかに変わっていきました。
しかし、法律が出来たことで、犯罪者が自分の罪を商売にして利益を得ることが出来なくなり
映画製作会社や出版社も、儲けられず批判をされるのであれば作らないという立場を取るようになります。
得てして、このサムの息子法は犯罪者の不正とも言える利益獲得の歯止めをかけるのに一役買うことになりました。
【日本でサムの息子法はできないの?】
今回の絶歌の発売によって、日本でもこの法律を元に議論がなされると思いますが、
はたしてどうなっていくのでしょう…。
加害者としても、被害者としてもメディアにこれ以上騒いで欲しくないというのが
本音の部分にあると思いますので、これ以上騒がずそっとしておくのがいいのかもしれません。
【まとめ】
今回は日本でも必要?サムの息子法ってどんな法律ですか?というテーマについて解説しましたがいかがでしたでしょうか。
こうしてブログにしている時点で、「これ以上騒がれたくない」という被害者の気持ちに対して配慮が足りないのかもしれません。
それを思えば僕も罪人と同じなのかもしれませんね。
それでも、こういった法律についての知識を広めて、読者の方それぞれが判断できる材料を
お渡しできればと思って今回は書かせて頂きました。
あなたは日本にも「サムの息子法」は必要だと思いますか??
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コメント
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ひろたさん
ご意見ありがとうございます。
ひろたさんはとても心のやさしい方なのだと思います。
見ず知らずの被害者家族のことを気に病まれているのですね。
筆者は法律の観点で考えてた場合には、過去に過ちを犯した人でも
法律で定められた刑期を終えた時点で前科は残りますが罪は償ったと判断されると思うのです。
それ以上は法治国家である以上、拘束も出来ませんし、
その後厳しくなった少年法で裁き直すことも出来ません。
楽しく笑って他の人と変わらない人生を今現在送っているのなら批判はされるかもしれませんが、
少年Aは未だにその罪に対する罪悪感やどうしようもできない後悔の念に今も苦しんでいます。
そういった状況を踏まえて、自分は少年Aをどう思うのか、
許せるのか許せないのか、本を出した意味があるのか無いのかを語るべきではないかと思うんです。
ひろたさんのご意見もごもっともですが、
やはり食べていない料理の味について論評をすることはナンセンスです。
批判をするにしてもメディアや他人からの情報、ネットで調べたちょっとした知識ではなく
実際に自分が見たり、聞いたり、読んでみたりした感想を発信するべきだと筆者は思うのです。